まいど!輩です!
o(^ω^)o
日本の二大航空会社と言えばJALとANA。1991年。かつてジュリアナ東京というディスコが港区芝浦に存在し一世を風靡したが、この航空会社たちはこれをもじってジャルアナなんて言葉もあったものだ。絶対的な存在感をもって君臨するこの2大航空会社であったが…JAL(日本航空)が約990億の大赤字を抱え、倒産寸前。リストラ、不採算路線の廃止など、再建計画を進行中。JALに限らず、この企業であれば絶対安心という神話はもはや崩れ去った。不景気が席巻するこの世の中、民主党という新政党は果たしてどのように手腕を発揮するのか。まずはお手並み拝見といこうか。
さて長くなっているが…志賀草津キャンプツー報告第6弾。
我々が向かったのは群馬県吾妻郡草津市。そう草津温泉の顔、湯畑だ。毎分約4千~5千リットルもの温泉が湧き出す自噴泉。熱湯は7本の木桶を通して温度を冷まし、各旅館に送られる。立ち上る硫黄臭に3度目のゆで卵食べたい的な気分を味わうことになったわけだが…。
湯畑の周りは車道となっておりもちろん車両の通行は可能なのだが観光客が犇めく。我々一行はその湯畑観光客、温泉利用者たちの大注目の中、超低速で駐車場へと向かったのであった。どうにか車両を停め、徒歩で温泉街と湯畑へと向かう。そして見たのが画像だ。なんとも迫力のある景観。いつかここ泊まりに来たいものだ。それにしてもバイカーな服装の我々。周りから浮きまくりである(笑)
小一時間ほど湯畑やその周りの土産物屋をぷらぷらし、次に向かうは道の駅北信州やまのうち。旅もいよいよ終盤だ。
名物のざるそばを食い終わる頃には少し時間が押していた。渋滞は免れまい。一行は高速へと入っていった。途中サービスエリアに何度か立ち寄るも、そこから後は疲れや眠気との戦いである。
最初の休憩ポイントで帰宅組と本日は宿にとまり翌日ビーナスラインを巡るお泊まり組に別れる。おつかれっす!!お気をつけて!!また次回!!
お泊まり組に見送られ、こうして帰宅組は出発した。
暮れゆくオレンジ色の夕陽が車道を染める。疲れに集中力が途切れそうになる。前を行くNEOさんも結構疲れてそうだ。
疲れのピークはしかし、輩を妙なテンションへと導いた。アドレナリンが湯畑のように噴出し、口先からほとばしるは名曲?の数々!『ユァッ!ショーーーック!愛で空が落ちてくぅるぅうううう!!』。リズムに乗せて車上で体を揺らす輩に、輩の後ろを走るPIYOさん、遂に輩は壊れたのだと思ったに違いない。
最後のサービスエリアにたどり着いた。ここで降り先別にさらに2手に別れることに。青スポさんと輩は調布まで上を。残りメンバーはあきる野から下を行くことに。お疲れさまでした!!家に着くまでは気を緩めないように!!んじゃっ!と出発する我々一行であったが…ここからの渋滞すり抜けはまじキツかった(笑)
青スポさんに前を走ってもらう。気力を絞り出して青スポさんを追うも、さすがスピード王。あっと言う間に渋滞の車列を進み、輩の視界から消える。夜の八王子ルートは灯りも無く暗い。
延々と続く渋滞道にもどうにか調布出口が見えてきた。降りきったところになんと青スポさんが待っててくれた。申し訳ないす!(>ω<)待ちました?!いや1分ほどだよー。との回答。良かった…輩も頑張った方かも(^ω^;)しばらく青スポさんと同道し、青スポさんはあざみ野方面、輩は多摩堤通りへ。お疲れさまっす!!気をつけて!そこから車庫までは約1時間ほどだったであろうか。どうにかこうにか戻ってこれた輩の今回の総走行距離は760キロ。結構走ったんでないかい?!(笑)輩が車庫に着いた約40分後、別ルートを行った黄スポさんから家着の連絡。あきる野からのルートもなかなか大変だったようだ。こうして志賀草津キャンプツーは無事幕を閉じた。大変だったが今回も楽しいキャンプツーでしたねえ!!また次回もよろしくお願いします!!ではでは(*^ω^*)ノ